はなのうらばなし

50歳目前、人生残り半分、書くことを楽しみに生きていくことにしました

器は小さく、心は狭く

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私は「人に任せられない」タイプです

 

仕事をする上で「人に任せられる人」「任せられない人」がいますが、私は間違いなく後者で、恐らく、周りの人も私がそうであると認識していると思います

 

何故任せる事が出来ないのか

まず、現在の私の職場は飲食店

私以外はアルバイト、パートです

20名近い方達が働いています

 

私は区別しているつもりはありませんが、どうしてもアルバイト、パートの方達の仕事への意識や責任感の大きさは社員とは違います

また、時間給で働く方達にプラスαの仕事を任せることは、時間的に難しいのが現実です

 

何度も、何とかアルバイト、パートの方達にも「やり甲斐」「達成感」を感じてもらい、それを仕事の楽しみに繋げてもらえたらと、少しずつ難度を上げた仕事を任せてみたり、責任者である私の仕事の一部をお手伝いしてもらったりはしたのですが「時間」がネックとなりうまくは進められませんでした

 

そうなると、最終的には結局私のところにドカンとしわ寄せがきてしまいます

残業に次ぐ残業です

器の小さい私は「こうなるのなら最初から、いや、せめて途中からでも自分で進めておけばよかった」と思ってしまうのです

 

器の大きな責任者であれば

「ここまででもしてくれただけ有難い」

「次はもっと進めてもらえるように、アシストしよう」と考えるのでしょう

 

また、任せられる人はある程度のミス、または自分のやり方との違いが気にならないようです

気にならないのではなく、許せるというのでしょうか

 

私はその点においては、とんでもなく心が狭く

「何故お願いした通りにしてくれないんだろう」

「そのやり方では、私の思う結果にはならない」と、イライラしてしまうのです

 

もちろん、口にはしません

心の中で密かに思うだけですが、次にお願いする時には少々しっかりめに「こうしてね」と伝えるので、勘の良い人は感じ取っているかもしれません

 

そんな私なので、どうしても小忙しい印象を与えるようで堂々と「損ですよね」と言われた事があります

 

えぇ、とても傷付きました

器が小さいので「じゃあ手伝ってよ」とも思いました

 

あぁ、そう言えば重たい荷物を必死で抱えてヨチヨチと何度も往復していた時に、その様子を側で見ていたパートの方に「その歩き方妊婦ですよ(笑)」と言われた時は軽めの殺意を抱きました

 

それでは何故こんな器の小さい「人に任せられない」私が責任者など任されてしまうのか

今の職場だけではありません

かつてのバイト先、子育て真っ只中の短時間パートの頃、期間限定の派遣パートの頃、前職の社員時代、どこででもリーダー的、責任者的な立場を与えられました

 

何故、与えられるのか、よくよく考えてみましたが分かりません

 

性格的に向いていない仕事を任される事は本当に苦痛です

現在の飲食店勤務は50歳目前の私には肉体的にもかなりきつい上に、精神的にもどっとくるのです

 

上司は上司で「鈍臭いなー、任せる所は任せろよ」と感じているでしょう

共に働くアルバイト、パートの方は「1人でバタバタして何してんの?」と不思議でしょう

 

鈍臭い奴が、バタバタとしていても、1人でとりあえず全部やってくれるから周りは楽でいいやーってことですかね

 

ですね、きっと。

 

 

今日も書くことで気持ちを整える事ができました

お読み頂きありがとうございます

 

 

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