頑張り屋さんからの卒業
今週のお題「〇〇からの卒業」
私はこの春、頑張り屋さんから卒業します
50歳手前のおばさんが自分で頑張り屋さんとか言って小っ恥ずかしい話ですが、若い頃からずっと「頑張り屋さん」と言われる事が多かったです
決して「褒められた」とは感じていません
むしろ反対の意味として捉えていました
相手が私を「頑張り屋さん」と言う時の声色や表情には憐れみが浮かんでいるように見えるのです
「そんなにあくせくしてどうしたの?」
「気合い入りすぎ」
「必死になりすぎていて滑稽」
そう聞こえるようでした
それでも生まれ持った性分で
「与えられた事は全てやり遂げたい」
「やり遂げるだけではなく1%でも上回りたい」
そうやって50年近く生きてきましたが、
あーなんだかちっとも楽しくないし、幸せだと感じる事が少ないなと改めて感じたのです
涙を隠して難しい事に必死で取り組む人より
「出来そうにありません」と打ち明け、難題から回避している人の方が遥かに幸せそうに映るのです
それならば、あなたもそう生きてくればよかったじゃないか、という話なのですが、それが出来ない性分だからこんなことになっているのです(笑)
しかし、もう無理はきかない年頃です
ようやく、いい意味で「これくらいでいいや」と思えるようになりました
良い塩梅
良い加減
ということですね
、、、なんて、これはとても聞こえの良いように書いているだけで、本音としては「馬鹿馬鹿しくなった」のです
「どうでもいいや」の心境です
今まで120の力で取り組んでいた仕事、家のこと、人付き合いを少しずつ少しずつ力を抜いて今は70くらいにしています
なんにも不都合はありません
頑張らないように頑張ろう!とわけのわからない決意をし、力を抜いて歩く最初の一歩目がビクビクしたくらいです(笑)
特に仕事なんて120の力でやり遂げようが70の力でやり残そうが、私の頂くお給料は1円も変わりません
お給料が変わらないという事は会社の評価が変わらないという事なのです
役職だって降ろされる事もなければ部下が追い越して行く事もありません
私の120の力なんて必要ないのです
家のことだってそうです
お母さんでいなくちゃいけない
母子家庭なので、お父さんでもいなくちゃいけない
お金のこと、家事、子供達の身体の健康や心の健康
気にかかることばかり
でもあれもこれもの中で1番簡単に手抜きができるのが実は家事でした
適当なおかず、適当な掃除、適当な洗濯
納豆食べて、埃は見て見ぬふり、洗濯物は畳まなくてもまたすぐ着ればよかったのです
生きていけるというラインで十分でした
人付き合いはコロナの影響で、苦手な飲み会、食事会、勉強会が全くなくなり現在ノンストレスです
仕事上関わる人達にも期待していたからしんどかったのです
人を頼るのが得意ではないくせに、どこかで期待はしていたのです
春が過ぎて初夏になる頃には
「あれ?最近はなさんサボりすぎじゃない?」と思われるほど、頑張らない屋さんになっていたいと思います
今日も書く事で気持ちを整える事ができました
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