はなのうらばなし

50歳目前、人生残り半分、書くことを楽しみに生きていくことにしました

茶番の理由を深読みする

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今日の仕事のミーティングは「これ昔見たことある」と過去の記憶が蘇った光景でした

 

 

小学校5年生の時です

私のクラス5-1の学級会が非常に素晴らしいと評価され、他校の先生方が見学に来ることになったのです

 

担任は50代半ばの男の先生でした

学級会にとても力を入れていて「みんなで考える」

「全員発言」をモットーとしていて、一部のクラスメートは白熱し、言い合いになるような場面もありましたが、それを担任の先生がとても満足げに眺めていたのが印象に残っています

 

しかし私は人前で話すことが苦手で、ましてや「はい!」と手を挙げてみんなの注目を浴びてから意見を述べる事など到底出来ず、この時間が本当に苦痛でした

 

嫌、嫌、、、と強く思うと本当にお腹が痛くなったり、微熱が出たりするもので、学級会のある日には保健室のベッドで休んだり、熱が上がり続けて母親に迎えに来てもらった事もありました

 

他校の生徒方が見学にくると決まってからはますます熱がこもっていました

40年近く前の事で、議題については忘れてしまいましたが、初めは「はい!僕はこう思います」」はい!私はこう思います」と、積極的なクラスメートが手を挙げ、それに続いて同調意見や反対意見が上がり、グループで話しあって、最終的にクラスの意見としてまとまるという自然な流れでした

しかし、その後それを何度も繰り返す「学級会の練習」が始まったのです

 

誰々くんがまず手を挙げて意見を言う 

誰々さんが次に手を挙げて意見を言う

誰々くんが続いて意見を言う

誰々さんが反対意見を言う

委員長が「それではグループで話し合ってみましょう」と提案する

机をくっつけて4〜5人のグループで話し合う

各グループの意見を発表する

(ここで普段手を挙げて言えない子が発表する)

委員長がそれらをクラスの意見としてまとめ、最後は拍手で終わる

 

私は、引っ込み思案で発言もしない自分の性格を棚に上げて「なんかみんなセリフを言っている劇をしているみたい」と、とても冷ややかな気持ちを抱いて見ていました

同じセリフの繰り返しでグループでの話し合いと言われても、もう答えも分かっていて、手持ち無沙汰で机の上で両手を擦り合わせるような仕草をしていると、突然「はな!手をこんなんこんなんするな!」と私の仕草を真似て手を擦り合わせながら激昂した担任の先生に睨みつけられました

 

ますます学級会が嫌いになりました

 

他校の先生方が来られた日は、私を含めクラスメート全員がとても上手に「学級会のお芝居」をやり切る事ができ、拍手を頂いて、担任の先生も満足そうにしていたのを覚えています

 

 

そして、今日

仕事のミーティングで、その時の「お芝居感」をフッと思い出すような感覚になる瞬間がありました

 

 

5人でのミーティング

上司と私と同僚と部下2人

 

上司と部下の間で答えが出ている問題を、まるで今初めて問題として取りあげ、ミーティングをしているかのような空気

 

「これについて、こうふるから、こう答えて。そして結論はこう言うから」

 

同僚も同じように感じ取っていたようで

「あの茶番なに?(笑)」

 

結論まで決まっているなら決定事項だけ伝えてくれればいいのになーと思いつつ

上司がわざわざお芝居をした意図はなんだろうか?

わざわざお芝居をしなければいけなかった理由はなんだろうか?

私や同僚に対してそうしなければいけない理由があるはず

私たちが猛反対の意見を言うとでも?

その意見から部下を守るために?

いや、猛反対の意見なんて言わないタイプの私たちですから、それはないない

では、なぜ?

と、深読みをしつつも

あの小学校の頃の「学級会のお芝居」の光景を思い出しギュッとなっていました

 

※決して、上司と部下2人のどちらかがデキているというわけではありません

 

今日も書く事で気持ちを調える事ができました

お読み頂きありがとうございます

 

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